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『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』

名前があって、年齢があって、今まで暮らしてきた「人生」ならぬ「猫生」「犬生」「牛生」がある。そういう想像力が大事。

『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』監督 宍戸大裕さんインタビュー

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2年前の東日本大震災で被災したのは人間だけではありません。ペットとして飼われていた犬や猫もまた被災者となりました。被災した動物たちと人間との関わりを描くドキュメンタリー映画『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』が現在、劇場公開されています。
震災でペットとの別れや出会いを経験しながら、悲しみを乗り越える人々の姿だけでなく、福島県の避難区域内に取り残された犬猫や牧場の牛たちの苦難という現在進行形の問題まで描いた本作品は、「私たちにとって動物とは?」「動物たちにとって人間とは?」「いのちの意味とは?」という重い問いを観客に投げかけます。監督の宍戸大裕さんにお話を伺いました。

宍戸大裕(ししどだいすけ)さん
1982年、宮城県仙台市生まれ。宮城県名取市在住。学生時代、本作のプロデューサーでもある映像作家の飯田基晴氏や土屋トカチ氏(『フツーの仕事がしたい』監督)が主催する映像サークル「風の集い」に参加し、映像制作を学ぶ。学生時代の作品に、高尾山(東京)へのトンネル開発計画と、それに反対する住民による自然保護運動の姿を追ったドキュメンタリー作品『高尾山二十四年目の記憶』がある。福祉関係のNPO勤務を経て、現在は映像製作に携わる。

制作の経緯

――この作品を撮ったきっかけを教えてください。

僕は仙台の出身で、地元が被災地になりました。震災のときは東京の山谷で働いていたんですけれども、震災から8日後にカメラを持って戻ったのが出発点ですね。

――もともと映画を作るつもりでカメラを持っていったのですか。

どんな形になるかわからないけれど、とにかく地元の人たちの生きる姿を記録しよう、という思いでした。映画を作るイメージはほとんどなかったですね。

――最初は人間を撮るために、被災地に行ったのですね。

そうですね。人の姿しか頭になかったです。動物のことは存在じたい、全然頭にありませんでした。

――被災地に入って、カメラを向けて、どう感じましたか。

やっぱり最初に行った時のショックは大きくて。僕は「被災地を撮りに行く」という思いでアドレナリンがかなり出ている感じで東京の部屋を後にしたんですけど、仙台の町に着いたときは「本当に震災があったの?」というくらい平穏だったんですよ。街にマスクをしている人は多かったし、店は閉まっていて、店の前で炊き出しをしているので、普通とは違う。でもどこかが倒壊しているということはなかった。目に見える被災というのはほとんどなかったんです。

ところが名取市の沿岸部に行くと、道路を挟んで、あまりにも違ったんですよね。その落差にショックを受けました。家の片付け、瓦礫の片付けを細々と始めている住民の姿を見て、かける言葉もない。自衛隊の人とすれちがうと「遺体があるかもしれないから、何か見つけたら教えて下さい」と言われました。その後も連日どこかで遺体が見つかっているので、瓦礫の上を歩きながら、もしかしたらその下に遺体があったかもしれない。そんな場所でしたね。

――動物を撮ろうと意識したのはどういう経緯だったのですか。

きっかけは「アニマルクラブ」(注1)の代表の阿部智子さんを訪ねたことでした。阿部さんは、その年の5月に前作『犬と猫と人間と』(注2)の自主上映することを企画していました。震災後、全然連絡がとれなくなっていたので、飯田基晴さん(注3)から「訪ねてみてくれないか?」と言われて行って初めて会いました。

震災から2週間くらい経っていましたが、まだ瓦礫の山がほとんど手付かずの状態の中、被災地の各地で、倒壊した家の下で見つかった猫が警察に保護されたり、放浪していた犬が保健所に保護されたり。阿部さんはそれを引き受けて連れてくる。阿部さんを訪ねてはじめて、犬猫も被災者だったんだ、ということがわかったんですよ。そこが出発点でしたね。

(注1)アニマルクラブ:石巻市の動物愛護団体
(注2)『犬と猫と人間と』:ペットの殺処分をめぐる問題を扱ったドキュメンタリー。2009年製作。
(注3)飯田基晴さん:『犬と猫と人間と2 動物たちの大震災』プロデューサー。前作『犬と猫と人間と』では監督を務めた。

――アニマルクラブは各所で保護された犬猫を集めて、お世話をしていたのですね。もともとそういう活動をしていたのですか。

そうですね。阿部さんは高校生の頃から三十数年、石巻に根を張って、啓蒙啓発活動・新聞への投書・パネル展の開催・犬猫の里親探しなどをずっとやってきたので、日常と震災という非日常の間で、何をするべきか、とても冷静な人だったんですよ。自分のできることをやるしかないし、やれることしかやれない、という自然体に好感を持ちました。
僕自身、犬猫の問題について、前作『犬と猫と人間と』をDVDで観た以上のことは知りませんでしたが、阿部さんがわかりやすく話をしてくれました。

石巻の被災猫(みーちゃん)

――映画の中には主に石巻市のアニマルクラブ・福島市の犬猫シェルター「SORA」・福島県の警戒区域内の牧場という3つの取材先が登場します。それぞれどのような経緯で取材することになったのですか?

本当にこの映画の取材はすべて導かれるままという感じでした。さきほど言ったように、アニマルクラブへ行ったのは飯田さんの導きがありました。その次に出会った岡田久子さん(注4)は阿部さんが紹介してくれました。震災後、宮城から福島まで毎日2時間かけて通い、取り残された犬猫への餌やりや保護のボランティアをしていた岡田さんのもとに、支援物資として届いた犬猫用のフードを運ぶよう、阿部さんから頼まれたのです。そこで餌を車にどかどか積んで岡田さんに渡し、福島に同行もさせてもらうようになりました。

福島のSORAについては、震災の年の5月初めに計画的避難区域に指定されていた飯舘村に行ったところ、村役場に動物愛護団体一覧という紙が貼ってありました。いくつも団体がある中で、福島の団体に取材したいと思って。それがSORAでした。

牧場については、映画の通りです。警戒区域内の牧場で活動を始めていた岡田さんにくっついていったら、あれよあれよというまに、「ファーム・アルカディア」と出会い、「希望の牧場」と出会い、そして「やまゆりファーム」に至っている、と。

(注4)岡田久子さん:「やまゆりファーム」代表
(注5)「ファーム・アルカディア」「希望の牧場」「やまゆりファーム」:いずれも福島県の警戒区域内の牛の殺処分に同意せず、飼育を続ける牧場。

――映画にするという話はどのように具体的になっていったのですか。

映画にしようと思ったのは、いろんな経緯があるんですけど、福島の犬猫との出会い、そこで置き去りにされ、亡くなっていた動物との出会いが僕にとってターニングポイントでした。あの姿を必ず世の中に届けなければ、という思いがあって、ちゃんとした形で出したいな、と考えるようになったんですね。

飯田さんにはずっと応援をしてもらって、「どんな進み具合?」と頻繁に連絡をもらっていました。震災から1年ほど経った頃、70分くらいにまとめた作品を渡して観てもらい、「これは多くの人に伝えていくべきものだと思うから、本格的にちゃんとやろう」「スクリーンにかけられるようにしよう」ということになりました。タイトルも、それまで『動物たちの大震災』だけでやっていたんですけど、『犬と猫と人間と』という飯田さんの前作の名前をもらって、広く支援を集めて始めたんですね。

――ペットの飼い主の人たちや牧場をやっている人たちなど、取材対象の人たちとの距離感は難しいところもあったのでは。

僕は取材先どこでもボランティアをしていて、ボランティアをしていた時間のほうが撮影時間より長いんですよ。その中で動物を守りたいという人たちの思いに共感共鳴していました。だから取材対象とほとんど一体化してきていたんですね。その分、距離が取りにくくなっている時期もありました。

――完成した作品を観ると、主張を前面に出すのではなく、起こっていることを淡々と記録するトーンが貫かれ、取材対象との距離をうまく保っていますよね。

それはプロデューサーの飯田さんと共作しているゆえの距離感だと思います。初めは思い入れもあって、取材対象にベッタリになりかけていたところ、飯田さんに「伝えるためには適度な距離感を保たないといけない」「対象への近さが見る人にとっての反発につながる」と指摘され、それを意識しながら飯田さんと構成・編集を行いました。

――映画を作る過程でどういうところが大変でしたか。

やっぱり編集ですね。「撮影で辛いことはありませんでしたか」とたまに訊かれるんですけど、それはありませんでした。一番最初の、誰にも話しかけられない時期は辛かったですけど、それ以外は、みなさん話してくれたので、辛さはなかったです。しかし、編集の苦労は本当に身を削るようでした。

昨年8月初旬、2時間くらいにまとめた映像を飯田さんに見せたときに「これは映画でもドキュメンタリーでもない。延々と続くビデオリポートだ」と言われました。実は、8月26日に宮城県多賀城市で完成前試写会を開き、そこでお客さんの反応を聞いて、直して、今年1月に最終的な形で完成するというスケジュールになっていたんですね。ところが、8月初めにNGが出てしまった。そこから試写会まで2週間強しかない中で、内容をがらっと変えたのがまずしんどかったですね。

それでも、編集ではどうしようもないくらい、取材が足りない部分がたくさんありました。今年の1月13日が完成の期限と決まっていたので、それに間に合わせるために、秋口には連日、追加取材をしましたし、さらにその映像を見なおして、全体の中にどう位置づけるか考えていく。その過程は本当にきつかったですね。結局、1月12日、完成前日まで編集していました。

(続く »)

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Written by wakamonoiz

2013年7月7日 at 8:52 PM

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